codomos

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あぁやっぱり相性がわるいなあとおもったけど
そうでもなかったね。

あーよかったなー。

tampopo



それは本当にたんぽぽですか。らいおんかもしれません。
それは本当にお花さんですか。あの子かもしれません。
それは本当に家ですか。お父さんかもしれません。
本は、丸尾くん。ノートはたまちゃん。
はさみはスネ夫くんだね。あと、列車はお茶の水博士。

今日自転車こいでるときに考えたこと。

schoolgirl

自分から、本を読むということを取ってしまったら、この経験の無い私は、泣きべそをかくことだろう。それほど私は、本に書かれてある事に頼っている。一つの本を読んでは、パッとその本に夢中になり、信頼し、同化し、共鳴し、それに生活をくっつけてみるのだ。また、他の本を読むと、たちまち、クルッとかわって、すましている。人のものを盗んで来て自分のものにちゃんと作り直す才能は、そのずるさは、これは私の唯一の特技だ。本当に、このずるさ、いんちきには厭になる。毎日毎日、失敗に失敗を重ねて、あか恥ばかりかいていたら、少しは重厚になるかも知れない。けれども、そのような失敗にさえ、なんとか理窟をこじつけて、上手につくろい、ちゃんとしたような理論を編み出し、苦肉の芝居なんか得々(とくとく)とやりそうだ。
(こんな言葉もどこかの本で読んだことがある)
 
 ほんとうに私は、どれが本当の自分だかわからない。読む本がなくなって、真似するお手本がなんにも見つからなくなった時には、私は、いったいどうするだろう。手も足も出ない、萎縮(いしゅく)の態で、むやみに鼻をかんでばかりいるかも知れない。何しろ電車の中で、毎日こんなにふらふら考えているばかりでは、だめだ。からだに、厭な温かさが残って、やりきれない。何かしなければ、どうにかしなければと思うのだが、どうしたら、自分をはっきり掴(つか)めるのか。これまでの私の自己批判なんて、まるで意味ないものだったと思う。批判をしてみて、厭な、弱いところに気附くと、すぐそれに甘くおぼれて、いたわって、角(つの)をためて牛を殺すのはよくない、などと結論するのだから、批判も何もあったものでない。何も考えない方が、むしろ良心的だ。
底本:「女生徒」角川文庫、角川書店
   1954(昭和29)年10月20日初版発行
   1968(昭和43)年2月5日44版発行
青空文庫より
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/275_13903.html

suteneko

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happy birthdays.

perfect


NYLON tribute 3

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NYLON tribute 2

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NYLON tribute 1

lost and found

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music: "lost and found" by Exchpoptrue